新しい価値観が出てきているのに、それを古い価値観で見てアレコレくさすようなことをよく見かけます。

たとえばスマートフォンに対するネガティブな言説。曰く「機能を十分使いこなせていない」「おサイフケータイにならない」「バッテリー消耗が激しい」などなど。パソコンの例からも分かる通り、搭載された機能をおおかた使いこなす人など多いはずがありません。だから、スマートフォンを不必要な機能ばかりのムダなケータイと断ずるのはいかがなものでしょう。「Twitterがカンタンにできる」というだけでも所持する動機としては十分。要は「それで何がしたいか」でしょう。

おサイフケータイについても同様です。電話とメールと簡単なウェブ閲覧機能(i-mode)に加えて、カメラ機能、おサイフ機能などが追加され便利になりましたが、絶対に必要な機能なのかどうかは評価の別れるところです。i-modeはパソコン通信(niftyとかPC-VANとか)のようになくなっていく運命に見えますし、ケータイに多くの決済機能を集中させるのもリスクが大き過ぎると思います。なによりお客は「それで何がしたいか」です。

スマートフォンの強みはリッチな情報をやり取りできるということ。とりわけ発信する側の機能が大幅に強化される点にあると思います。もしそれが一番「したいこと」であれば、おサイフケータイ機能はどうでもいいはずです。サービスを提供する側が従来の価値観にとらわれて、顧客がいま「どんなことをしたい」と思っているのかを見誤るとたいへんなことになりそうです。2008年のデータではおサイフケータイの利用者は30%だったそうですがその後の調査でもあまり増えていません。独自技術を喧伝したいのはわかりますが、利用者との温度差がはっきり感じられるデータではないでしょうか。

一方「いまの若者は内向きで海外に出たがらない」という調査結果を残念がり、覇気がないなどとくさす人がいます。しかしそれは若者だけの傾向なのでしょうか。たしかに日本人の中にも海外に出て活躍したいという人もいるでしょう。しかし海外赴任したことのある人で、是非また海外に行きたいと希望している人がそれほどたくさんいるとは思えません。いろいろな人から話を聞いてみると「やっぱり日本がいい」というのがほとんど。自分の回りにはそういう志の低い人しかいないのかもしれませんが。

いまや子どもの時分から海外旅行をする人が増え、中学・高校時代に海外研修などで短期間ながら国外に出る機会も増えています。そして海外から日本にやってくる外国人も増えました。にもかかわらず留学したい、海外で働きたいという人が少ないのは、そもそも海外(外国人やその文化、生活環境)にほとんど魅力を感じていないからかも知れません。そもそもいつも比較に出される国が中国や韓国というのもいかがなものでしょう。国内に著名な大学を持つ米国人は、イギリスとカナダ以外の大学にどれだけ留学しているのか?フランス人やドイツ人は米国およびヨーロッパの近隣諸国以外の国々へどれだけ留学するのか?そうした数字を見ずに高度成長時代の価値観(いわゆる途上国らしい志)で、こうした傾向を残念がるのは時代錯誤といえるかも知れません。いやマスコミによる情報操作に踊らされているというべきか(ちなみにOECD諸国への国別留学生数の比較はこちら)。

OECD諸国への海外留学生数

ノーベル賞受賞者は、異口同音に海外に出たことのメリットを語りますが、そのことをよく考えてみましょう。受賞者がいう「海外に出る」ということは、研究を極めたいなら「本場で切磋琢磨せよ!」という意味です。サッカーでいうなら、世界的プレーヤーを目指すなら、Jリーグから出てヨーロッパの一流リーグで活躍しないと、ということです。やみくもに海外へ行きさえすればいいとは言っていません。昔から留学生の多い、韓国や香港、シンガポールからはたして何人ノーベル賞受賞者が出ているでしょうか。

ただ多くの日本企業は、市場が縮小しつつある国内から海外に目を移し、伸長著しい市場に販路を求めるしかない状況にあるようです。ということは必然的に海外に「兵隊」を送り込む必要があります。マスコミによる「若者よ海外を目指せ」という一斉連呼は、そうした企業を取り巻く状況と不可分ではありません。こうしたミスマッチをなんとか解消しようと躍起になっているようにもみえます。

一方今の20歳代の若い人が求めているのは「日本らしさ」、いまここに普通にある日本の姿です。何の変哲もない田舎の風景、長年手を入れ守られてきた里山、きめ細やかなサービス、崩れてきたとはいえまだ高い次元で保たれている社会的規範。海外に出て分かったこと、それは日本こそパラダイスだったということです。そしていま、外国人に対して静かに日本を主張する時代がやってきたのではないでしょうか。

曰く、日本人は空気を読みすぎる、日本人は自分を考えを主張しない、云々。それはいわば外人クラブの「世界標準」に合わせることこそ「国際化」であるという主張なのでしょうけど、いつまでもそんな卑屈な考え方はやめたらどうでしょう。「日本人のような振る舞いこそ、これからの時代求められるだ」と声高でなく、日本人らしくそれとなく匂わせる事が重要ではないでしょうか。ギャーギャーとKYなことをほざく外国人には「黙っとけ!」「相手の話に耳を傾けろ!」と一喝してやろうではありませんか。安易に「世界標準」など受け入れずに文化的障壁を高く設け、パラダイスを維持することこそ重要です。

外国人との切磋琢磨で成長させたいなら、反対にもっと本気で留学生を呼び込めばいいのではないでしょうか。少子化でどこの大学も対応に知恵を絞っているところですし、日本語の壁はあるとしても費用面での優遇措置と日本文化の魅力で、それなりに人気が出ると思うのですがいかがなものでしょう。それはともかく、世界標準に準拠した根無し草的な国際人ではなく、しっかりとしたアイデンティティを持った日本人を育てることこそ重要ではないでしょうか。