変わる組織と個人の力関係

尖閣諸島における中国漁船衝映像が流出した問題で民主党政権は揺れていますが、そろそろ今年もあと少しになってきましたので個人的に気になったことなどをまとめてみたいと思います。

今年あったことでもっとも印象的だったのが、組織と個人の力関係が変わりつつあることです。これまでもみんなうすうすと感じていたことなのですが、今年ぐらいそれがハッキリと形になって現れたことはありませんでした。

ITのコンシューマ化の進展によって、職場で使うITシステムがどんどん時代遅れとなっています。コンシューマを対象とする新しい技術やサービスは目覚しいスピードで進化し、とりわけソーシャルメディアを勢いづかせました。ソーシャルメディアを利用するデバイスが、デスクトップPCからスマートフォンなどのモバイル機器に移ったことで、Twitterやブログ、YouTube、Ustreamなどへの投稿といった情報発信がますますスピーディで容易になり、加えてEvernoteやDropBoxなどパーソナルクラウド的なサービスによって個人が装備できるツールも登場し、コンシューマはどんどんパワフルになってきました。そして今度は組織が、そうしたパワーを業務に取り入れようとしています。

ただそのとき問題になのがガバナンスです。法令遵守はもちろん、企業としてあるいは個人としてのリテラシーを高めるとともに、どうガバナンスを利かせるのかが重要になってきます。とはいえあまりガバナンスを利かせすぎて冒険しなくなり、イノベーションが起こらないのでは本末転倒ですし、かといって好き勝手にやっていいというわけでもありません。このあたりの舵取りは実に頭の痛いところです。

「やはりそこはレッセフェール。事件も起こるだろうが結局落ち着くところに落ち着く」社会全体としてはそれでいいかもしれませんが、組織が全面に出る日本では、それでは済まされません。そこで今後は個人に権限を持たせる代わりにもっと重い責任を負わせる仕組みにしてはいかがでしょう。組織全体が罪をかぶって総懺悔するのではなく、責任ある立場の個人が糾弾されるこ仕組みです。そうなればガバナンスはうまく機能するのではないかと思います。

たとえば新聞は記者の記名記事を多くして、責任はより多く個人に負担してもらうことです。実際デスクチェックの結果修正された記事の責任は誰がとるのかなど、解決しなければならない問題もありますが、責任の所在があいまいなまま謝罪→決着という従来のけじめのつけ方はできなくなります。あるいは自分の話で恐縮ですが、現在FacebookやTwitterで顔出しして活動していますが、そうすると簡単に無責任な発言をするわけにはいかなくなります。(たまにはしますけど…)ネット上では影響力のある人間ではないので、失言で叩かれるリスクは少ないですが、それでもある程度の自制、コントロールが利いてきます。これをガバナンスにつなげていければ、うまくいきそうな気がするのですがいかがでしょうか。